ページ番号 1038049 更新日 令和5年5月23日
昔の仕事は体力や筋力が大事な要素でした。男性でも女性でも米1俵、60キログラムは普通に扱える重さだったそうです。野田には、醤油醸造業や舟運などの力仕事が多くあったため、職を求め多くの人が集まりました。採用の条件が力の強さであったり、力石という重い自然石を持てる重さで賃金が決まることもあったそうで力石で体を鍛える者もいたようですが、力石を使って力自慢を競う力くらべは娯楽として親しまれ、相撲のように番付表も作成されるほど人気でした。内田金蔵、鬼熊といった力自慢が持ち上げたと伝わる力石が市内に残っています。力石は、楕円形で表面に凹凸がない石で、重量や名前、地名、年代が刻まれたものなどがあり、当時の力自慢たちにより神社に奉納され、今でも神社で多く見られます。番付の中心にある鬼熊(別名は熊治郎)の名前が刻まれた力石は瀬戸の八坂神社にあり、重さは百貫(1貫は3.75キログラム)と刻字されています。
また、万治四(1661)年と刻まれた力石が今上の八幡神社にあります。全国で3番目に古い貴重な力石です。全国には13,738個の力石の存在が確認調査されています。その約1割(1,168個)が千葉県にあり、さらにその約16パーセントの188個(県内最多)が野田市にあります。野田に力石が多いのは、利根川と江戸川を使った舟運、河岸や街道における荷役、醤油醸造業などで発展し古くから栄えていた証であると言えるでしょう。
参考文献 高島愼助・石田年子「千葉県野田市(旧関宿町)の力石」『研究報告』第8号千葉県立関宿城博物館2004年、島愼助『千葉の力石』2006年岩田書院、島愼助『力石「ちからいし」』2011年岩田書院
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