シリーズ13 先人らの情熱で受け継がれてきた「津久舞」

ページ番号 1038050 更新日  令和5年7月10日


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野田の魅力を発見!!

毎年7月に行われている津久舞は、野田市民にとってはお馴染みの行事の1つですが、非常に珍しい祭礼です。現在全国で確認される「つく舞」は4か所(野田市、旭市、多古町、茨城県龍ケ崎市)に残っています。記録では、いすみ市や市川市、柏市、茨城県利根町などの千葉・茨城の広い範囲で行われていたことがわかっていますが、ほとんどは幕末から明治時代に途絶えました。野田の津久舞も同じ運命をたどり、いくどもの中断、復活の歴史でした。
津久舞の記録はほとんど残っていませんが、昭和8年にまとめられた「愛宕神社年暦」では、享和2(1802)年に大変な干ばつがあり、雨乞い祈願のため重次郎さんが登ったのが初めてと記録されています。ところが、大正時代にジュウジロウさん(舞手が変わっても同じ呼び名)の落下事故のため、人形でやらざるを得なくなるなど、約15メートルの津久柱での軽業芸は危険と隣り合わせで、たびたび中断を余儀なくされ、記録では昭和8(1933)年に復活しましたが昭和14年以降は戦争をはさんで中止され、戦後約10年間はお囃子だけの時期がありました。
昭和29年には若い人達を中心に復活の気運が盛り上がり、ジュウジロウさんを市外から迎え、津久舞を復活させました。さらに民俗学の大家であった柳田國男先生へ手紙を書き、見に来てもらうだけでなく興風会館で記念講演会まで実現させました。復活した津久舞はNHKニュースで全国放送もされました。ところが、その後もジュウジロウさん不在で、何度も中断され、昭和50年から再度途絶えました。地元でのジュウジロウさん探しと育成に苦労しながら昭和63年に待望の市民ジュウジロウさんが見つかります。それ以降、台風やコロナ以外は地元のジュウジロウさんの津久舞が受け継がれています。
たくさんの先人たちの情熱と努力と現在に生きる地域の人たちの熱い思いで続いてきている津久舞は、平成5(1993)年に県の『無形民俗文化財』、平成11年に国の『選択無形民俗文化財』に指定され、今年は『ちば文化資産』に選定されました。今年の津久舞の開催は7月15日(土曜日)です。

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【参考文献】野田市郷土博物館『野田の夏まつりと津久舞』、宮ア等『龍ケ崎市史研究第8号』、斉藤芳太郎「津久舞復活譚」月刊とも24・25号、愛宕睦会のお祭野郎たち「帰ってきた津久舞」月刊とも13号、「野田の津久舞」『東京日日新聞(千葉版)』1936年7月21日12面、「野田の津久舞 明夜AKから全国に中継」『東京日日新聞(千葉版)』1937年7月20日12面


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