ページ番号 1032632 更新日 令和5年5月2日
作者:阪倉宜暢
年代:昭和41年(1966)
概要:明治28年(1895)の日清戦争威海衛海戦を描いた絵画。水雷艇の艇長として参加した鈴木貫太郎は「鬼貫太郎」と渾名されるようになりました。
作者:阪倉宜暢
時期:昭和41年(1966)
概要:昭和11年の2.26事件において襲撃を受けた、鈴木貫太郎翁は身に銃弾を受け瀕死の重傷を負いますが、タカ夫人による説得などもあり止めを刺されず一命を取り留めます。
作者:白川一郎
年代:昭和41年(1966)
概要:昭和20年8月9日に開かれた御前会議で、鈴木貫太郎はこの会議で昭和天皇に「御聖断」を仰ぎ、ポツダム宣言の受諾が決まりますが、国体護持をめぐり議論が再燃すると8月14日再び御前会議を開くこととなります。
作者:白川一郎
年代:昭和46年(1971)
概要:最後の御前会議は、昭和20年(1945)8月14日から15日未明にかけて行われた御前会議で、この時の「御聖断」により日本のポツダム宣言受諾が決定します。
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