ページ番号 1032637 更新日 令和5年5月2日
鈴木貫太郎翁が最も多く書いた言葉と伝わっています。意味は「大空や海が広々としていること。転じて、度量が大きく、こだわりないこと。
この「天空海闊」の掛け軸は、歴代内閣総理大臣の運転手を務め、終戦時の鈴木貫太郎邸襲撃時は共に逃避した方の家から寄贈されたものです。10日程逃避した後運転手が一度帰宅を申し出た際に、貫太郎翁がお礼にと書いたもので、終戦後の最も早い時期にかかれた書と考えられます。
終戦の詔書にも使用された文言で、鈴木貫太郎翁は戦後、よくこの言葉を書いています。意味は「この後、何世代も続く世のために平和な世をつくる」。
この掛け軸は戦後関宿に移住した貫太郎翁の主治医をつとめ、最期の脈をとった医師の家に伝わった掛け軸です。昭和22年(1947)頃に車の修理業者を紹介したお礼にもらったことが箱に書かれています。
鈴木貫太郎翁の日常訓です。貫太郎翁は、父親から「腹を立ててはいけないよ」と教えられており、幼少期より温厚な性格だったと伝わります。海軍時代は鉄拳制裁を一切行わず、連合艦隊司令長官時代に、当番兵が居眠りした際は、毛布をかけて風邪を引かないようにと諭しています。また、首相時代には、遅刻した運転手を叱ることなく「まだ間に合うよ」と諭したほどでした。
この言葉は、地元の関宿小学校や中学校で校歌の歌詞に取り上げられているほか、貫太郎翁が群馬時代に通った桃井小学校ではこの言葉を石碑にしています。
貫太郎翁の亡き後も、タカ夫人が翁の言葉として色紙に揮毫し、地元の小学生や知り合いなどへ贈っています。
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