ページ番号 1047024 更新日 令和7年5月15日
2025年11月に、東京2025デフリンピック(正式名称「第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025」)が開催されます。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催です。東京2025デフリンピックは、100周年の記念すべき大会で、日本では初開催です。
デフリンピックは、英語で「耳がきこえない」を意味する「デフ(deaf)」とオリンピックを組み合わせたものです。
競技ルールは、オリンピックと基本的に同じです。オリンピックとの違いはルールではなく、情報保障のやり方にあります。例えば、競技スタートを知らせる際、オリンピックでは笛やピストルなど音で合図しますが、デフリンピックではランプの光や旗、手を使った合図も行います。デフリンピックに出場できる選手は、補聴器などがない状態では普通の大きさの声がきこえない人のみです。普段の生活で補聴器などを使用しているアスリートでも、競技会場ではこれらの機器を使用せずに競技に臨みます。
人々の繋がりを意味する「輪」がテーマ。デザインでは、デフコミュニティの代表的なシンボルである「手」を表し、デフリンピックを通して競技と話題に触れ、互いの交流やコミュニティが「輪」のように繋がった先には、新たな未来の花が咲いていくことを表現。花は桜の花弁をモチーフとしています。
[画像]東京2025デフリンピック大会エンブレム(105.9KB)障がいのある人のスポーツ大会といえば、デフリンピックよりもパラリンピックの方が知っている人が多いと思います。しかし、実際は、デフリンピックの方が早く始まりました。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が発足したのは1924年。国際パラリンピック委員会(IPC)が発足したのは1989年です。当初はICSDもIPCに参加していました。しかし、手話や情報保障以外はオリンピックと同じルールで行うというデフリンピックの独自性を追求するため、1995年にIPCを離脱。その結果、パラリンピックには肢体不自由、脳性まひ、視覚障がい、知的障がいのある人が出場し、聴覚障がいのある人はパラリンピックではなくデフリンピックに出場することになりました。
瀧澤諒斗(たきざわあきと)さんは、デフサッカー日本代表選手の一人。野田市立二川中学校を卒業し、亜細亜大学に在学中(令和7年度時点)です。今回、ホームページに記事を掲載することも快く引き受けていただきました。そんな瀧澤選手からメッセージをいただきました。
ー瀧澤諒斗さんがサッカーを始めたきっかけは何ですか?
兄がサッカーをやっていて、その背中を見ながら育ったので自然とサッカーを始めました。
[画像]瀧澤選手の画像(68.8KB)ーデフリンピックへの抱負をお願いします。
日本初開催のデフリンピックという事もあり、今までの努力を発揮して最高の舞台を楽しみつつ、今までお世話になった人たちに優勝という結果を出して恩返ししたい。そしてデフリンピック・デフサッカーの魅力を日本の皆さんに知っていただきたいです。
ー障がいのある人へのメッセージをお願いします!
障がいを持ってる人たちに伝えたいこと。それは
私は生まれつき聴覚障がいを持っており、学生時代にはいじめや仲間外れなどの経験をしました。しかし、デフの世界に入ってから私と同じ思いをしている人たちが沢山いることを知りました。そして多くの友人も出来ました。「決して自分は1人じゃない」そう思えるようになりました。どんなに苦しい状況でも決して諦めないで欲しい。広く見渡せばあなたの味方は絶対にいます。私もその1人。一緒に人生を楽しみましょう!
[画像]瀧澤選手の画像(519.9KB)瀧澤 諒斗(たきざわ あきと)
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福祉部 障がい者支援課 障がい者福祉係
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