野田の醤油発祥地(のだのしょうゆはっしょうち)

ページ番号 1000567 更新日  令和5年5月10日


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野田で醤油作りが始まったのは、伝承によれば永禄年間(1558から70)に飯田市郎兵衛の先祖が甲斐武田氏に溜(豆油)醤油を納め、川中島御用溜醤油と称したとされていることから、野田市において最も古い醤油醸造は飯田家と言われております。
その旧飯田家の工場跡(亀屋蔵)に記念碑が残されています。
しかし、近世の野田の醤油が商品化されはじめるのは、寛文元年(1661)に梨兵左衛門が醤油醸造を開始してからと考えられます。
本町通りから少し奥まった所に立てられています。
昭和46年に野田市の『史跡』に指定されました。

野田と醤油

古くから野田の産業は、醤油が中心でした。野田に醤油造りが移入されたのは、永禄年間(1558から69)に飯田市郎兵衛という人が、溜醤油を造り始めたときとされています。
しかし、近世の醤油造りは寛文年代(1661から72)で、その後、18世紀に人り飛曜的に増大し、それまで海路を菱垣廻船や樽回船によって大量に運び込まれていた関西醤油にとって代わり、江戸市中の需要を賄うほどになりました。
19世紀中期には、梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が、幕府両丸(本丸・西丸)御用醤油にもなっています。
明治期に人ってからは、梨・茂木両家による醤油醸造は日を追って盛大となり、明治20年(1887)には野田醤油醸造組合を結成しました。
また、資力を活用して地域社会の発展にも寄与してきました。明治32年(1899)、野田人車鉄道の設立、明治33年(1900)、野田商誘銀行の設立、また、明治44年(1911)、千葉県営鉄道の開通、大正3年(1914)、野田病院の設立や大正12年(1923)には水道施設の敷設等があります。
大正期は、第一次世界大戦による大戦景気を生み、醤油業界もまた好況に恵まれ、大正6年(1917)には、茂木一族と梨一族の八家合同による野田醤油株式会社(キッコーマン株式会社の前身)が誕生しました。
一方、野田の醤油業界は、天保期に創業した現在のキノエネ醤油株式会社をはじめ、各醸造企業も順調に発展していきました。


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