ページ番号 1000574 更新日 令和5年4月13日
懸仏は、平安時代中期以降の神仏習合から生まれた造形で、従来、神社で御霊代として造られた鏡板の表面に本地仏を描いたものです。
船形八幡懸仏は、表に「奉造立奉願照光院飯塚豊後守道連、下総国庄内下川辺荘船形郷宮向辺、天正十八年庚寅十月十三日、敬白」、裏には「前嶋縫殿鋳之」と刻まれています。作られたのは天正18年(1590)で、懸仏信仰の哀退期以降のものですが製作者が明らかで、しかも製作技術に優れ、鏡板の中央に弥陀三尊、左右両肩に般若が打ち出されるなど主題も整っています。そして、野田地方にも懸仏信仰が及んでいたことを立証する貴重な資料といえます。
平成2年に野田市の『有形文化財』に指定されました。
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