長命寺歉年賑給中死亡五百有余人墓(ちょうめいじけんねんしんきゅうちゅうしぼうごひゃくゆうよにんぼ)

ページ番号 1039529 更新日  令和5年10月30日


[画像]長命寺歉年賑給中死亡五百有余人墓(30.0KB)

長命寺歉年賑給中死亡五百有余人墓は、長命寺に建立されている合葬墓で、「飢饉の年に、多数の人に食べ物を施しているうちに死亡した五百人あまりの人々の墓」という意味です。合葬墓が建立された時代背景には、江戸時代後期に全国的に起こった天保の飢饉があります。野田ではこの飢饉において食料と医薬を提供する御救いを行い、近隣の村落以外からも御救いを求めて多くの人々が来訪しました。来訪して御救いを受けるも亡くなってしまった方を弔うため、天保9年(1838年)に高さ2.2メートルの墓石が建立され、台座部分は明治19年(1886年)に50回忌供養で建立したことが刻まれています。
令和5年に野田市の『有形文化財(歴史資料)』に指定されました。

所在地
野田市上花輪1361  長命寺

交通アクセス
まめバス9南ルート愛宕駅、11南ルート(循環)「長命寺前」バス停下車


このページには添付ファイルがありますが、携帯端末ではご覧いただけません。
添付ファイルをご覧いただく場合は、パソコン版またはスマートフォン版ホームページをご覧ください。

このページに関するお問い合わせ


生涯学習部 生涯学習課
電話:04-7123-1366


[0] 野田市トップページ [1] 戻る

Copyright (C) City Noda, All Rights Reserved.